号外すいかとかのたね

漫画雑誌「すいかとかのたね」のブログです。僕らの好きな漫画・雑誌の話です。

通販を開始いたしました。

お久しぶりです。

記事の更新がしばらく滞っておりましたが、漫画雑誌「すいかとかのたね」の通販の開始のお知らせをさせていただきます。

 

こちらのサイトから「すいかとかのたね」1号〜3号がご購入いただけることになりました!よろしくお願いいたします。

http://suitane.theshop.jp 

 

これまで何人かの方々から通販についてのお問い合わせなどあったのですが、ようやく環境を整えることができました。お問い合わせしてくださった方々、遅くなってすみません。

これまで読んでいただいた方々も、感想を切実にお待ちしておりますのでよろしくお願いいたします。

 

これまで出た3冊は、どれも楽しめるものとなっているはずですので、ぜひ多くの方に読んでいただきたいです。

また、8月のコミティアでは力の入った4号も出ますので、そちらもよろしくお願いいたします。

 

それでは、近々また記事を更新したいと思いますので、今日はここで失礼します。さようなら!

 

 

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高野文子「美しき町」の美しさ(2)

suikatokanotane.hatenablog.com

 

前回に引き続き、高野文子『棒がいっぽん』(マガジンハウス)に収録されている「美しき町」というすばらしい短編、および高野文子の表現技法について書いていこうと思います。

 

 

  • 手前奥の表現

高野文子の構図取りに多いのが、手前に何かを置き、その奥に写したいものを描くという構図です。

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こちらのコマでは手前に自転車、奥に主人公サナエさんを写しています。

続けて次のコマも見てみましょう。

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これは、開け放したベランダからサナエさんノブオさん夫妻を写しているコマ。

上の二つのコマではそれぞれトーンの貼り方でカメラのピントずれを巧みに表現し、手前奥をはっきりさせています。(このピントずれの表現からは高野文子が漫画を映像的に捉えていることが伺えます)

この手前奥の表現により画面に奥行きが出て、コマ内の空間が立ち上がってきます。こういった視点や構図などから見えてくるような”空間性”は高野文子の漫画の大事なポイントになっているのは間違いないでしょう。インタビューなどでもたびたび漫画の空間やパースについて触れています。

さらに、二つ目のコマでは、ベランダの手すりがコマの枠内のもう一つの枠として機能しているのがわかるでしょうか。二人の近づいた顔を切り取るように手すりの枠が置かれています。これにより、二人の近付いた顔やその関係性に目が向くと同時に、手すりという枠の向こう(二人)とこちら(読者側)との間の距離を感じさせることになります。こちら側とは切り離された二人だけの世界が強調されるように感じられるのではないでしょうか。

このように、単に奥行き表現としてだけではない用いられ方がされているように思えます。

 

 

  • グラフィカルな切り取り

さて、同じく構図の取り方に関してもう一つ、今度は平面性を強調したものについてお話ししていこうと思います。

これも高野文子の作品にしばしば見られる技法の一つですが、あえて平面的でグラフィカルなコマを作ることがあります。例えばこれがそうです。

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二人が食事を終え、ガリ版刷りを始めるまでを速いテンポで一気に見せているこのページ。まず大胆に縦に四分割されたコマ割りが目立ちます。

 コマの形の効果もあって、全体に奥行きが感じにくい絵になっています。特に右端の1コマ目では、顔、食卓上の皿、茶碗と手がそれぞれ並列に見えてきます。食卓のパースがあえて平面的なものになっているのが見て取れるのではないでしょうか。さらに左端の4コマ目では、刷り上がった版がテキスタイルのような模様として見えてきます。コマ上部の手を隠してみるとよりそう見えてくると思います。

次のページでもその平面性がより強調されているコマが見て取れます。

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こちらの2コマでも、一部を隠せば模様に見えるような構図の取り方がされています。漫画という平面のメディアの上でさらに平面性を強調するということをかなり意図的に行い、スタイリッシュな画面作りをしているのではないかと思います。

 

このように、高野文子は構図作りによって画面に奥行きを与えたり、奥行きをなくしたりと空間性と平面性をうまく操っているということがわかってきました。本当はこの短編の技術だけじゃなく、読んだ時の感動なんかにも触れたいのですが、それはまた次回に持ち越してみます。

 

(つづく)

suikatokanotane.hatenablog.com

 

画像は全て高野文子『棒がいっぽん』(マガジンハウス)「美しき町」より

 

 

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高野文子「美しき町」の美しさ(1)

初めまして。「すいかとかのたね」というインディーズの漫画雑誌を作っている中山と申します。このブログでは漫画や雑誌などに関するちょっとしたコラムを、僕および他のメンバーで書いていけたらと考えています。「すいかとかのたね」についてはリンク先をご覧ください。

 

 

初回は高野文子の『棒がいっぽん』(1995)に収録されている「美しき町」という短編についてです。

以前雑誌のメンバーとファミレスで集まった際、たまたま僕が持ってきた『棒がいっぽん』のこの短編を回し読みしたことがありました。それから1時間くらい内容や表現について盛り上がって話し合ったおぼえがあります。その時に感じた高野文子という作家のすごさが、僕たちのうちの何人かに強い影響を与えました。その一部でも伝えられることを願って筆を執ろうと思います。

 

この短編は高野文子の作品の中でもある程度有名なものではないかと思います。

舞台はおそらく高度経済成長期、またはその直前のある町。お見合い結婚をしてこの町に新居を構えたサナエさん・ノブオさん夫妻の9月のある夜を描いたお話です。

さて、なぜこの短編に強く心惹かれたかというと、この作品には高野文子のおそろしいまでの表現技術が詰まっているのではないかと感じたからです。これからお話しするその表現とは以下の6つです。

・多彩な視点の動きと切り取り

・連続したコマの時間の動き

・手前奥の表現

・グラフィカルな切り取り

・フラッシュバック

・大胆な省略

「美しき町」の各シーンを見ながらこれらについて書いていこうと思います。

 

 

  • 多彩な視点の動きと切り取り

高野文子の作品の大きな魅力の一つが、視点の動き、そしてその切り取り方にあると思います。

まずは序盤の二人の散歩のシーンからこちらのページ。

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早速一コマ目から気持ちのいい大胆なコマの切り取り方です。そしてそのあとに続くコマでは、サナエさんから見たノブオさんの絵になっています。さらにその先の、ページ最後のコマはおそらくノブオさんの視点ではないでしょうか。見上げの角度になっています。このように登場人物の視点でコマを描くこの手法は、高野文子が多用する技法の一つです。

こういった視点の取り方によって、人物同士のコミュニケーションを読者にも体験的に読ませています。小川をうまく渡れるよう導くノブオさんの頼もしい表情とそれに少し不安げに答えるサナエさんを、それぞれの視点で写すことで読者にとってもリアリティのあるシーンとして読ませることに成功しています。

 

さらに高野文子の視点はしばしば、大胆な切り取りを行います。

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こちらのシーンでは、ノブオさんの帰りを待つサナエさんが足音を聞いてドアを開けようとした直前、ノブオさんに後ろから声がかけられる様子を描いています。このシーンが巧いのは、声をかけられた瞬間の驚きを演出するために、それ以外のコマでは(ナレーションを除いた)セリフを使わずに、カット割りと音だけで緊張感を高めているところです。

ページの上半分、1コマ目から廊下の奥から玄関で花をさわるサナエさんを写したカメラが徐々に近づき、3コマ目でその視点がサナエさんを越えて扉(の向こうからしてくる音)に向かいます。一見なんてことないカットに見えますが、注意してみるとこのように次に起こる事象へのつなぎをスムーズにする工夫がなされていました。

次に下半分を見てみましょう。4コマ目と5コマ目に注目します。4コマ目では足音に気づきドアを開けようとするサナエさんを上から写し、その次の5コマ目では今まさに階段を上り終えようとするノブオさんの足を大きく写しています。それぞれ大胆な構図ですが、同じ時間に起きていることを二つの違う視点で連続して写すことで、映画の細かいカットバックのように、このシーンの緊張感が高まっていく効果が感じられます。

さらに、3コマ目で聞こえた足音が5コマ目で大きくなることで、ノブオさんが扉に近づいてきていることを音でも感じさせています。このように音とカット割りの両方で緊張の高まりを演出する技法は、非常に映像的です。

そのように緊張感を高めていって、「塚田くん!」というセリフにつなげるわけです。ここまで大胆かつ無駄の無いコマ割りがさりげないシーンで使われている。本当にすごいです。

ほんの一部見てもらっただけでもわかるように、高野文子は視点の使い方が非常に巧いと同時に、コマ割りもまた技巧的です。それは次のトピックを読んでもらえばよりわかるのではないかと思います。

 

 

  • 連続したコマの時間の動き

高野作品によく出てくるのが、これから紹介する連続したコマでの表現です。これは見てもらうとすぐわかると思いますので、まずこちらをご覧ください。

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この短編の序盤、ナレーションでノブオさんを紹介しながらノブオさんが食卓の南瓜の煮付けを食べるシーンです。同じ視点の同じような大きさのコマが三つ並んでいます。ノブオさんが①煮付けを見、②南瓜が義父からのものであるかを尋ね、③口に入れ味わう。この一連の動作を視点を変えず連続して描くことで、ノブオさんという人を細やかに描写しています。

続いても見てみましょう。

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こちらは、サナエさんたちの隣に住む井出さんというキャラクターがノブオさんと話した時に、あることでムッとして自分の家に入っていくシーンです。ここでもノブオさんの視点から家に入る井出さんを描いています。

こちらもまた、同じ視点、同じ大きさでこの動作を連続して描き、井出さんのイライラした少し険悪な雰囲気が出ています。下駄を鳴らし、ぶっきらぼうにドアを開けてつい下駄をドアに当ててしまう様子の嫌な感じを、この技法によって印象づけ、ありありと読者である私たちに体験させます。

高野文子がこの技法を使う時には、決まって細やかな視点があります。一つ目のシーンでの煮付けを指す箸や目線の移動、二つ目のシーンでの姿勢の勢いなど、普段目にする動作を人一倍細やかに見つめていることが伺えます。そうした些細な動作の中に潜むその人の性格や感情を、漫画の中で再現するためにこの技法を取っているのではないでしょうか。

さらに、このようにコマを連続して写す技法が使われている箇所は、他のところより漫画上における時間の進みがゆっくりになります。いわばスローモーションのような役割を果たしているのです。それにより、些細な動作が普段以上に意味のあるものに感じられ、その動作に潜むキャラクター性を見せる大きな効果を生んでいると考えられます。

 

こうしたコマ割りの高い技術もこの短編および高野文子作品の素晴らしさに一役も二役も買っていると言えるでしょう。

 

 

 (つづく)

suikatokanotane.hatenablog.com

 

画像は全て高野文子『棒がいっぽん』 (マガジンハウス)「美しき町」より

 

 

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